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東京地方裁判所 昭和46年(刑わ)755号 判決 1972年8月31日

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和四五年五月一七日午前三時一〇分ころ、業務として、普通乗用自動車を運転し、東京都杉並区永福四丁目一番一四号先道路を吉祥寺方面から明大前方面に向かい時速約六〇キロメートルで進行し、同所先の信号機により交通整理の行なわれている交差点を直進しようとするにあたり、同交差点の信号機の表示する信号を注視し、同信号の表示に従つて進行すべき業務上の注意義務があるのに、同信号機の表示する信号に対する注視を欠き、同信号が赤色の停止信号を表示していたのに気づかず漫然前記速度で同交差点に進入した過失により、おりから同交差点に右方道路から信号に従つて進入してきた坂本雪雄(当時三四年)運転の普転乗用自動車に自車を衝突させ、さらに自車を左斜めに暴走させて同所のガードレールに激突させたうえ転覆させるなどし、その際自車の同乗者村岡一暿(当時二二年)車外に転落させ、よつて、同人をして同日午前三時二五分ころ、同区永福四丁目一八番四号東京大塚病院において、頭腔内損傷により死亡するに至らしめたほか、自車の同乗者野島芳久(当時二〇年)に加療約六週間を要する左鎖骨骨折等の傷害を負わせたものである。」というのである。

当公判廷において取り調べた証拠を総合すると、被告人は、自動車運転の業務に従事していた者であるところ、公訴事実記載の日時場所において、普通乗用自動車(以下、被告人車といういう。)を運転し、公訴事実記載の信号機により交通整理の行なわれている交差点(以下、本件交差点という。)を時速約五五キロメートルで直進した際、右方道路から右交差点に進入してきた坂本雪雄(当時三四才)運転の普通乗用自動車(タクシー。以下、坂本車という。)との衝突を惹起し、自車を左斜めに暴走させて同所のガードレールに激突させたうえ転覆させたこと、その際、右衝撃により、被告人車の同乗者村岡一暿(当時二二才)が車外に転落し、公訴事実記載の日時場所において、頭腔内損傷により死亡するに至つたほか、被告人車の同乗者野島芳久(当時二〇才)も加療六週間を要する右鎖骨骨折等の傷害を負つたこと等の事実が明らかである。

ところで、本件における唯一にして最大の争点は、被告人車が本件交差点に進入した際、右交差点の対面信号が、公訴事実記載のとおり、赤色を表示していたのか、あるいは、被告人および弁護人が一貫して主張するように、青色を表示していたのか、という点である。すなわち、右前者のとおりであるとすれば、被告人が右村岡の死亡および野島の負傷について、ほぼ公訴事実記載の趣旨に副う業務上過失責任を免れないが、逆に、右後者の場合であるとすれば、右事故につき、刑事責任を追及することの許されないことは、多言を要しないところである。当裁判所は、当公判廷において取り調べたすべての証拠を比較対照し、その証拠価値を仔細に吟味してみたが、被告人車の対面信号が、公訴事実記載のとおり赤色を表示していたとの確信には、ついに到達することができなかつた。以下、右の点について若干の説明を加える。

一、主要な積極証拠の信ぴよう性について

本件における検察官の主張を積極的に支持する証拠としては、種々のものがあるが、なかでも重要なのは、右衝突事故の一方の当事者である坂本雪雄の司法警察員(二通)および検察官(一通)に対する各供述調書(以下、これらを総称して坂本供述という。)、偶然通りかかつて右衝突事故前後の状況を目撃したという、タクシー運転手諸井平吉および同明星弓夫の公判廷における供述(以下、それぞれ諸井供述および明星供述という。)である。すなわち、右坂本供述の要旨は「前記交差点手前の踏切りを徐行して通過し、右交差点直前に至つたが、右交差点の対面信号が青色なので時速四〇キロメートル位でこれに進入したところ左方から来た車に衝突された」というのであり、諸井供述の要旨は、「本件交差点の手前七〜八〇メートルの地点で対面信号が黄色に変わり私がブレーキをかけはじめたころ、白小型の車が右側を追い越していつた。その後信号は赤色に変つたが、追越し車は、それにも拘らず出ていつて、右方から来た車と衝突したのを目撃した。」というのであり、また明星供述の要旨は「吉祥寺方面から本件交差点に接近し、右交差点の約一〇〇メートル手前の地点で信号が赤色を表示しているのに気付き、減速して約三〇メートル走つたあたりで、事故の衝突音を聞いた。そのあと自車は、三〇メートル位進行して停止した。」というのである。右各供述は、いずれも一応の具体性もあり、互いに相補強し合う関係にあつて、一見措信するに足りるかに見えるのであるが、さらに仔細に検討するに、つぎのような看過し難い疑点ないし問題点を包蔵するものである。すなわち、

1坂本供述について

(1)  坂本供述は、後に指摘するとおり、必ずしも細部において前後一貫しない部分もあるが、本件交差点の手前の踏み切りを通過する際、一時停止をせず、低速(検察官調書では時速一五ないし二五キロメートルという。)でこれを通過し、その後、交差点の青信号を確かめて加速し、時速約四〇キロメートル位で右交差点に進入したとの点では、ほぼ一貫していると認められる。ところが、右供述は、高生精也作成の昭和四七年七月八日作成の鑑定書および同人の第一二回公判廷における供述(以下、両者を併せて第二回高生鑑定という。なお、以下において、第一回高生鑑定とは、同人作成の「鑑定結果報告について」と題する書面を、第三回高生鑑定とは、同人作成の昭和四七年八月二〇日付鑑定書をいい、たんに高生鑑定というときは、これの全体を指称することとする。)からうかがわれる坂本車の客観的な走行状況と明らかに矛盾する。すなわち、第二回高生鑑定は、坂本車の事故直前の走行状況を、同車に取り付けられていたタコグラフチャート紙を科学的に解析して得られたもので、客観性に富み、高度の信頼性を有すると認められるものであるが、これによれば、同車は、事故による異常振動を記録した地点の約一三〇メートル手前の地点において、時速約64.4キロメートルであつたところ、その後次第に減速して、右異常振動を記録した地点では、時速約34.6キロメートルになつていたというのであつて、坂本供述にいう(ア)「踏切通過時の減速」および(イ)「右通過後の加速」の事実は、タコグラフチャート紙上まつたく記録されていない、というのである。

ところで、右の二点は、坂本供述中もつとも重要な(ウ)「交差点進入時に信号は青色であつた」との部分ときわめて密接かつ有機的な関連を有するものであつて(すなわち、右(ア)の事実は、(イ)の事実が存在するための前提であり、(ウ)の点は、(イ)の行為の動機としての意味を有する。)、もし、右(ア)、(イ)の二点が事実に反するとすれば、右(ウ)の点に関する供述も、その信ぴよう性に重大な影響を受けることとなるであろう(通常一定の行為と関連づけてその動機を述べている場合、右行為自体が存在しないのであれば、動機の点に関する供述も事実に反する蓋然性がきわめて高いと考えるのが相当である。)。

もつとも、右第二回高生鑑定によつても、坂本車の衝突時の速度は、時速約34.6キロメートルであつたというのであり、右は、坂本の主張する同車の衝突時の速度とおおむね符合するから、右坂本供述はその限度で右鑑定によつて信ぴよう性を裏付けられたとの見方が、まつたくできないわけではない。しかし、本件において坂本車の衝突時の速度が問題となるのは、前記のとおり(ウ)の点との関連においてであつて、それを離れて、同車の衝突時の速度だけを切り離して論じてみて見ても、さしたる意義があるとは思われない。もし、同車が右高生鑑定のいうとおり、時速64.4キロメートルから次第に減速して時速34.6キロメートルに達したというのであれば、右事実は、坂本のいう「当時交差点の信号が青色であつた」との事実を認めるには、むしろマイナスに作用すると解すべきこと、前述のとおりであつて、衝突時の自車の速度に関する坂本供述が右高生鑑定とたまたま一致しているからといつて、その故に、交差点進入時の信号の色の点に関する部分まで、その信用性の裏付けがあつたと見ることは許されないというべきである。

(2)  坂本は、本件事故の一方の当事者であり、当初被疑者としての取調べを受けていた者である。もし、交差点進入時の信号が赤色であつたと認定されれば、被告人に代つて同人が被告人の立場に置かれる状況にあつた。このような立場に置かれた者の供述の信ぴよう性については、いわゆる第三者的な立場にある目撃証人などの場合とは異つた、いつそう慎重な吟味を必要とする。然るところ、右供述には、右(1)において指摘したことのほか、一部において前後あい矛盾し(たとえば、交差点の青信号を認めた地点について、昭和四五年五月一七日付司法警察員作成の実況見分調書および同年七月三日付司法警察員作成の実況見分調書における同人の各指示説明を参照)、あるいは、明らかに客観的事実に反すると認められる部分(たとえば、踏切り通過時に、サードギヤーにしたとする部分)が認められるのであつて、前記(1)の点と相まち、その信ぴよう性に多大の疑問を抱かせる(もつとも、これらの疑問についても、当裁判所において、坂本から直接その供述を聞くことができれば、あるいは納得のいく説明が得られたものもあるかもしれない。しかしながら、同人は、すでに昭和四六年一月一一日に本件事故とは関係なく死亡しており、当裁判所はついに直接その説明を聞くことができなかつた。このことは、本件事案の真相を解明するうえで、きわめて残念なことではあるが、同人の死亡によつて未解決のまま残された前記諸疑問を、被告人に対し不利益な推測を働かせることによつて解決することの許されないことは、あえて多言を要しないところである。)

2諸井供述および明星供述について

(1)  右両名は、いずれも本件事故直後において、右事故現場に偶然通り合わせたというタクシー運転手であつて、なかでも諸井の供述は、事故直前、被告人車とおぼしい白色小型車に追い越されたこと、当時前方の信号は、赤色になる直前であつたこと、ドンドンという衝突音を二回聞き、右小型車が天井を道路につけてグルグル回転していたのを目撃したこと、赤信号で一時停止した後、約一キロメートル前方の和泉町交番に事故のあつたことを届け出たこと等、かなり具体的な事項にわたつており、一見高度の信ぴよう性を有するかに思える。しかし、右両名は、前記坂本の勤務するコンドル交通株式会社が事故後その処理に窮して各タクシー会社に流したビラ(「永福町における重大事故を目撃されたタクシー乗務員さんのご協力方お願いについて」と題するもの)を見て、自己の目撃した事実を警察へ申告するに至つた者であるところ、一般に、タクシー運転手同志の間では、たとえ勤務先が異つても、互にかばい合う傾向があることは、否定し難いところであるから(証人神山正己は、警察官として、現実にそのような事態を経験したことがあり、本件の取調べにあたつても、諸井に対し、そのようなことのないよう厳重に注意した旨供述している。)、その信ぴよう性の判断は慎重でなければならない。

(2)  本件においては、右両名が、その供述するとおり、事故直後、右事故現場へ来合わせた事実を確実に裏付ける当夜の運転日報の証拠としての提出がなく、明星車については、タコグラフチャート紙の提出すらないので、果たして右両名が、間違いなく事故現場に来合わせたものであるかどうかについても、疑問をさしはさむ余地がまつたくないわけではないのであるが(なお、検察官が証人明星弓夫に対して行なつた発問の内容からすれば、捜査当時、明星から日報およびタコグラフチャート紙の提出を受けた警察官が、会社に対しこれを返還してしまつたやに推察されるが、右各証拠の物証としての重要性を知悉するはずの警察官の措置としては、きわめて不可解なものであつて理解に苦しむところである。もつとも、斉藤正夫証人は、明星が事故現場に来合わせた事実は確実であるとしている。)、いまこの点をしばらく別としても、諸井供述は、同人運転車両のタコグラフチャート紙の解析結果からうかがわれる同車両の客観的な走行状態と重要な点において明らかに矛盾し、不合理であるといわなければならない。すなわち、同人は、当公判廷において、交差点直前で黄色信号を見た地点、白色小型車に追い越された地点、信号が赤色に変つた地点は、いずれも、同人作成の昭和四五年六月一二日付図面(以下諸井図面という。)の①、②、③の各点のとおりであること、自車の停止したのは、交差点入口の横断歩道直前の停止線に先頭が接する状態であつたこと、黄色信号を認めた当時の速度は、時速六〇キロメートル位であつたこと等を供述し、右図面によれば、右①②間は32.2メートル、②③間は25.8メートル、③と横断歩道までは一三メートルであることが明らかである。そして、右交差点における諸井車の対面信号の黄色の表示時間は、四秒間であるから(昭和四五年五月一七日付司法巡査作成の捜査報告書)、同人の供述によれ、同車は停止状態に至る数秒(右③点から停止までの時間を最大限に見積つても七〜八秒)前まで、時速六〇キロメートルの高速で走行していたことになるのである。しかし、第一回および第三回高生鑑定書添付の各図面からうかがわれる同車の走行状態は、明らかにこれと異るものである(同車が交差点直前で停止したのが右図面上どの位置になるのかについては、必ずしも明らかとはいえないが、検察官の主張に従い、これを右図面赤④の位置であるとしても、同車が時速六〇キロ程度で走行しているのは、右停止地点より方眼紙の目盛りにして少なくとも三目盛り以上手前の位置であることが判読できる。しかして、右方眼紙の一目盛りは、時間にして約八秒を意味するのであるから(第一二回公判期日における証人兼鑑定人高生精也の供述)、右時点は、前記停止状態に達した時点の少なくとも二四秒以上手前の時点であつて、右停止時点の約八秒手前の時点では、同車の速度は、せいぜい時速二〇数キロメートル程度しか出ていないこととなる。かりに、右図面に作成上若干の誤差がありうるとしても、右図面にあらわれた限りにおいては、諸井車が、停止に至る数秒前まで時速六〇キロメートルの高速で走行していたとは、とうてい考えられない。また、諸井車が事故地点で停止したのが、右図面赤⑥点であると仮定すれば、右に指摘した疑問は、いつそう顕著なものとなる。)諸井は、タクシー運転手として日常ハンドルを握る立場にあつて、経験上、自車の速度については相当正確にこれを認識しうる筈であるところ、同人が、前記のとおり諸井図面「③点において自車の速度は時速六〇キロメートルであり、被告人車に追い越されたとき、速度差は二、三〇キロメートルあつた」旨くり返し客観的事実に反する供述をしている点は、いかなる理由に基づくものであろうか。右の点につき弁護人は、諸井は、被告人に含むところがあつて、被告人車が時速八〇キロメートルの高速であつた旨事実に反する供述をしたためであると主張する。右のような推測は、いささかうがちすぎの感があつて、軽けいにこれを口にするべきことではないが、前記の点からすれば、右の推測を、まつたく根拠のない憶測であるとして、一蹴し去ることも、いささかちゆうちよされるところである。

(3)  明星供述は、衝突の状況を直接目撃したというものではないが「赤信号を見てから衝突音を聞いた」という点において、被告人に不利益な内容を包含するものである。しかし、右明星は、本件事故前後の状況のうち重要な点において記憶をそう失しており(たとえば、右事故現場付近で自車を追い抜いた車のあつたこと、その位置、被告人車の横転状況、右交差点において信号待ちをした時間、自車のブレーキを踏んだ位置等)、その供述は比較的具体性に乏しいにも拘らず、前記信号の点のみに関しては一貫して自説に固執しているものであつて(もつとも、同人は司法警察員に対しては、昭和四五年五月二四日付実況見分調書添付図面①点で「赤信号に変つた」のを見たといい、公判廷においては、右①点で「信号は赤色だつた」旨供述しており、若干のくいちがいが見られる。)かえつて不自然の感を禁じえない。同人は、当夜すでに一五時間以上も連続して乗務していて、身心の疲労度はかなり高度に達していたと考えられる者であつて、しかも、事故の発生を事前に予期していたわけではないのであるから、約一〇〇メートル前方の信号を見た時点と、衝突音を聞いた時点との前後関係等を、同人がいうほど明確に区別して記憶しうるものであろうか。同人が、当初証人となることをちゆうちよしていた形跡もうかがわれること(前掲斉藤正夫供述)等を考え併せると、右信号の点に関する同人の供述も、同人がいうほど、しかく絶対の自信を持つて断言できることではないのではないかとの疑問を禁じえない(右の疑問は、検察官の指摘するように、明星が職業運転手であつて、一般的には通常人より信号に対する注意の度合いが高いと考えられることは考慮に容れても、なお釈然としないものである。)

(4)  このように見てくると、諸井、明星の両供述には、種々の疑問があつて、これに万全の信は措き難いといわざるをえないと思われるが、右のような疑問があつてもなお、とくに諸井供述の具体性等に照らし、その信ぴよう性は否定し難いとの見解もありえないところではないであろう。しかし、右両名のように、日常ハンドルを握る立場にある者が、本件のような重大な事故前後の状況を目撃したとすれば、これに自己の過去の経験を加味して、一部事実を誇張し、あるいは紛飾して前記のような迫真力に富む状況の描写を行なうことが不可能ではないと思われる。現に諸井が明らかに事実を紛飾していると疑われる点のあることは、前記(2)において指摘したとおりであり、同人の供述には、他にも、一部事実を誇張ないし紛飾しているのではないかと疑われる部分も散見されるのである(たとえば、諸井供述中「小型車が天井を道路につけてグルグル回転していたとする部分は、各実況見分調書や写真撮影報告書等から明らかな同車の衝突地点、衝突の態様、停止位置・停止状況、天井および車体の破損状況等からみて、いささかオーバーな表現ではないかと考えられるし―衝突の一方の当事者である坂本は、たんに「相手車は、衝突し、左歩道に乗り上げ、右に二分の一回転し(あお向)、方向を逆になり止まつた」というだけである。同人の昭和四五年五月一七日付供述調書添付図面参照。―、本来蓋然的にしか指示できないはずであるところの、諸井図面①②③のような地点を「確信があつて指示した」などと供述している。)そうすると、諸井供述が詳細かつ具体的であるとの一事から、その供述全体に高度の信ぴよう性があるとする前記の見解も、じゆうぶんな説得力を有するとはいえない。

二、いわゆる反証の証拠価値について

本件において、被告人は、捜査当時より一貫して事実を否認し「時速約五五キロメートル位(ただし、検察官調書では、時速五〇ないし五五キロメートルであつたという。)で進行中、交差点の手前約二〜三〇メートル手前で信号が青であるのを確認し、その後、右方道路から、自動車のライトの光のようなものを認めたが、信号が青なので直進を続けたら、右方から来た車に衝突された」との趣旨の供述をしている。右被告人の供述は、ほぼ首尾一貫し、重要な点において前後あい矛盾したり、明らかに不合理であると認められるような事項を包含していないというだけでなく、その内容も右方からの坂本車のライトを認めながら、あえて安全を信じて交差点に進入したという。自車の対面信号が青色であつたことを裏付けるに足りる具体的な事実にわたつており、それ自体採証上軽視し難い意義を有するといわなければならないのであるが、いまこの点を別にしても、なおつぎのような注目すべき点を含むということができる。すなわち、被告人は、当公判廷において、自車の速度が時速五五キロメートル程度であつたこと、自車が、先行するタクシーを追い越したのは、事故現場から相当手前の地点(第九回公判において取り調べたロードマップ(写し)上「井ノ頭通り」の表示のうち「ノ頭」の字あるあたり。)であつて、右は、浜田山小学校方面へ至る道路との交差点(以下、浜田山交差点という。)で信号待ちをし、自車が先頭で発進して間もなくのことであつたこと等の事実を明確に供述している。ところで、被告人が当公判廷において右のような供述をした当時、諸井車の速度が時速三〇キロメートル前後の低速であつたこと(第三回高生鑑定)は未だ明らかにされておらず、ただ「被告人車に追い越された当時、時速約六〇キロメートルで進行していた旨の前掲諸井供述がなされていた程度であつたからそれにも拘らず、少なくとも浜田山交差点における信号待ちの時間だけは確実に先行しているはずの諸井車に、右のようなわずかな距離で追いついたとする被告人の前記供述は、一見明らかに不合理なものではないかと思われたのである。当裁判所は、被告人に対し、右の点をくり返し問いただし、その不合理を追及したが、被告人の供述には、何らの変化もなかつた。しかるに、当公判廷において、その後明らかにされたところによると、諸井車は、浜田山交差点に相当すると思われる地点から、最初の三五〇メートルを時速約三二キロメートルで、つぎの一五〇メートルを約二七キロメートルで、つぎの五〇〇メートルを約三六ないし四五キロメートルで、最後の五三〇メートルを時速約三二ないし三八キロメートルで各走行しているのであつて(第三回高生鑑定。ちなみに、事故地点から、浜田山交差点までの正確な距離が約一五三〇メートルであること、右浜田山交差点から被告人が諸井車を追い越したと主張する地点までの距離が約三〜五〇〇メートルであることも前記被告人の供述のなされた後である第一四回公判において明らかにされた。)、右のような客観的事実に照らして考察すると、被告人車が、浜田山交差点を発進した後、先行する諸井車に、被告人が主張するような地点で追い着く可能性はじゆうぶん存在することとなり、被告人の前記供述は、必ずしもこれを不合理不可解なものということができないのである。(なお、右の点につき若干の説明を加える。被告人車が浜田山交差点を発進する際、諸井車は、少なくとも右交差点の赤信号の時間(二六秒間)だけ先行していることが確実であるが、諸井車の速度を時速三〇キロメートル(秒速8.3メートル)、被告人車の速度を時速五五キロメートル(秒速15.3メートル)と仮定すると、被告人車が諸井車に追い着くまでの時間(秒)は、つぎの算式でこれを得ることができる。

したがつて、被告人車がその間に走行する距離S(メートル)は約四七〇メートル(S=15.3×30.8=471.24メートル)と推算することが可能となるのである。)もとより右の点は、被告人の公判廷において供述するところの一部が、客観的に不可能ではないということが明らかにされたというにすぎず、諸井車がどの程度被告人車に先行していたかが明らかでない以上、右追越し地点が被告人の主張する地点であることを積極的に裏付けるものではないが、前記のような審理の経過に徴すると、採証上軽視することのできない重要な意義を有することであるというべきであろう。

つぎに、諸井車を追い越した地点に関する被告人の供述は、その余の事件関係者の供述によつてもほぼ支持されている。すなわち、右の点に関し、被告人車に同乗していて負傷した野島芳久は「本件交差点の三つか四つ手前に高井戸警察署前の交差点があつて、その先あたりの交差点でタクシーを追い抜いたと思う」「タクシーを追い越したのは信号待ちをする前です」などと、いささかあいまいな供述をしているが、被告人車の後方からこれに追従した斉藤芳三郎は、前を走る営業車が、いつから前を走るようになつたかとの問いに対し「永福町の交差点の手前のどこかの信号かなんかで止まつているが、そのあとじやないかと思うんです。」とほぼ被告人の供述に符合する供述をし、さらに同車の同乗者加藤憲一も、「私の前にタクシーがいて小林君の車が見えなくなつた。それは、西永福の交差点より前ですから、抜いたとすれば、西永福より前ではないか」と推測される旨、ほぼ右斉藤供述と同趣旨にとれる供述をしている。右各三名は、被告人と友人関係にあつて、その供述の信ぴよう性を疑う向きもありうるが、後にも述べるとおり、右三名は必ずしも被告人とまつたく同趣旨の供述をしているわけではなく(たとえば、衝突時の対面信号の色等のように通謀すれば容易に同旨の供述ができると思われる事項についてすら、右三名および被告人の供述は必ずしも一致していない。)このことは、むしろ右三名が各自の記憶に忠実に供述している証左であると考えることもできるのであるから、右三名が被告人と友人関係にあるとの一事から、右三名が一致して供述する「被告人車がタクシーを追い越したのは、衝突現場より相当手前の地点であつた」との点についてまで、その信ぴよう性を疑うのは相当でないと思われる。

最後に、右三名の、本件事故に関する供述を見よう。まず、この点に関する野島供述の要旨は、「衝突した瞬間は見ていない。丁度たばこをすおうと思つて出したが、それを落したので、こごんで手探りでさがしている間に衝突した」というのであり、斉藤供述の要旨は「事故地点付近で、被告人車の一二〇〜一三〇メートル後方から進行し、私の車の三〜四〇メートル前方に営業車がいた。交差点の四〜五〇メートル手前から、先行車が徐行しはじめ、止まつたので私も止まつた。交差点の一二〇メートル位手前で永福町方向からの車のライトを見た。その後止まるまで、信号は見てないので赤か青かはわからないが、変わつていないように思う。私の車が止まつたときは、信号は赤だつた」というのであり、さらに、加藤供述の要旨は「被告人車の一三〇〜一四〇メートル後方から進行し、前方三〇〜四〇メートルにはタクシーがいた。被告人車の衝突の状況は見えなかつた。前のタクシーが止まつたので交差点手前で止まつた」というのである。右各供述は、衝突時の信号の色等につき、被告人の供述を積極的に支持する内容のものではなく、一見被告人にとつて不利益なものではないかと思われる部分もあるのであるが、それだけにまた、右三名が、被告人と特別な関係にあるにも拘らず、自己の当時の認識を率直に述べているのではないかとも考えられるし対面信号の色を記憶していないという点も当時の置かれた状況に照らして考えると、かえつてその方が自然ではないかとも思われる。そうすると、右三名の供述が一致して、被告人車が交差点直前で諸井車を追い越した事実を否定している点は、採証上軽視し難い重要性を有するということができよう。(もしも、右三名が、事故現場直前において、被告人車が先行車を追い越した事実を、ことさら秘匿しているのであれば、本件における罪責決定上もつとも重要な、当時の対面信号の表示について、なにゆえに被告人に有利な供述をしないのかが理解できない。)

三、結論   以上のとおり、本件については、被告人の罪責決定上もつとも重要な意義を有する前掲主要積極証拠について、前記のような重要な問題点が存し、かえつて、被告人の供述を中心とするいわゆる反証の証拠価値に軽視し難いものがあると認められるものであつて、結局、前記交差点における衝突時、被告人車の対面信号が赤色であつたとの点につき、合理的な疑いを越えた確信に到達することができないものである。そうすると、本件訴因にかかる公訴事実は、犯罪の証明がないことに帰着するので、刑事訴訟法三三六条後段により、無罪の言渡しをする。 (木谷明)

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